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金運神社ランキング
まとめ記事19本に多く出た神社と由来
「金運が上がる神社」のまとめ記事やランキングを19本集めて、どの神社が何本に出てくるかを数えました。よく出るのは、東京・日本橋の小網神社、鎌倉の銭洗弁財天、京都の御金神社の3つ。どれが一番効くかではなく、それぞれがどうして「お金の神社」になったのかを、神社や自治体の説明からまとめます。
金運神社ランキング:まとめ記事19本に出た数
神社場所出た記事
小網神社東京・日本橋8本
御金神社京都7本
銭洗弁財天 宇賀福神社神奈川・鎌倉6本
安房神社千葉・館山5本
新屋山神社山梨・富士吉田5本
金劔宮石川・白山4本
福徳神社東京・日本橋4本
ほかに2〜3本に出たのは、明治神宮・出雲大社・宝当神社(佐賀)・椙森神社(日本橋)・皆中稲荷神社(新宿)・金蛇水神社(宮城)・宮地嶽神社(福岡)・芝大神宮(東京)・金刀比羅宮(香川)・伏見稲荷大社(京都)でした。
根拠:実測(まっぷる、All About、サライ、DIME、ウォーカープラス、ことりっぷ、VELTRA、ホトカミなどの記事19本を2026年10月に集め、神社の名前が出る記事を数えた)。東京・日本橋だけの記事が入っているので、東京の神社が多めに出ます。金運と関係の薄いパワースポット全般の記事も入っています。お寺は外しました。
小網神社(東京・日本橋):東京銭洗い弁天と「強運厄除」
人形町駅の近く、ビルの間にある小さな神社です。神社の説明では、文正元年(1466年)に村ではやった病を鎮めるために、網にかかった稲穂を持ってきた老人を「小網稲荷」としてまつったのが始まりとされています。
お金とつながるのは、境内の「銭洗いの井」です。近くのお寺にあった弁財天が、明治2年(1869年)に神社へ移され、ここで金銭を清めて財布などに入れておくと財運を授かる、とされています。それで「東京銭洗い弁天」とも呼ばれます。
もう1つの顔が「強運厄除」です。第二次世界大戦で、ここのお守りを受けて出征した氏子の兵士が全員生きて帰った、東京大空襲でも社殿が焼けなかった、という話が伝わっています。社殿は昭和4年の木造で、日本橋に残る唯一の戦前の木造神社建築だそうです。
根拠:一次資料(小網神社公式サイト「ご祭神/ご由緒」)。言い伝えは神社の説明のとおりに書いています。
銭洗弁財天 宇賀福神社(鎌倉):お金を洗う「銭洗い」の由来
鎌倉市観光協会の説明では、文治元年(1185年)の巳の年・巳の月・巳の日の夜、源頼朝の夢に老人が現れて湧き水のありかを告げ、頼朝がそこに社を建てて宇賀福神をまつったのが始まりとされています。
お金を洗うようになったのは、その後です。鎌倉幕府の第5代執権・北条時頼が「この水で銭を洗い清めれば福銭となり、一家は栄える」と、巳の日に自分の銭を洗って祈り、人々がそれにならった、と伝わっています。
金運の神社をたずねたアンケート(2024年、523人)では、1位でした(32.3%、前の年は19.9%)。
根拠:一次資料(鎌倉市観光協会「銭洗弁財天宇賀福神社」)。アンケートは二次(YouTubeチャンネル「金運上昇チャンネル」のアンケートを紹介した All About の記事)。
御金神社(京都):金属の神さまから金運へ
二条城の近くにある小さな神社で、まつっているのは金属と鉱物の守り神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)です。名前の「御金」と金色の鳥居で知られ、金運のお参りの人が全国から来ています。
同じアンケート(2024年)では2位(11.9%、前の年は17.7%)でした。
根拠:一次資料(御金神社公式サイト。祭神の説明)。金色の鳥居は二次(まとめ記事)。「金属の神さまから金運へ」というつながりは、神社の公式な説明ではなく、まとめ記事などでの紹介です。
「日本三大金運神社」:安房神社・新屋山神社・金劔宮
千葉・館山の安房神社、山梨・富士吉田の新屋山神社、石川・白山の金劔宮は、「日本三大金運神社」としてまとめて紹介されることが多い3つです。
ただし「三大」は、昔からの言い伝えではありません。経営コンサルタントの船井幸雄(船井総研の創業者)が「お金に困りたくなければこの神社に行きなさい」と言った3つ、と紹介されています。新屋山神社は、本宮ではなく富士山の二合目にある奥宮が特に金運で知られ、冬は閉まるそうです。
同じアンケート(2024年)では、安房神社5位(5.4%)、金劔宮8位(4.2%)、新屋山神社奥宮10位(1.9%)でした。
根拠:二次(VELTRA「日本三大金運神社」の記事、All About の記事)。船井幸雄の本や発言の元は、まだ確かめていません。
宝くじとつながる神社:江戸の富くじの椙森神社と福徳神社(日本橋)
宝くじの「当たる」とつながるのが、江戸時代に富くじ(今の宝くじの元)を行っていた神社です。富くじは、寺社の修理などのお金を集めるために幕府が許したもので、番号を書いた札を売り、木箱の中の木札を錐で突いて当たりを決めました。
日本橋の椙森神社には、天保7年(1836年)に境内で行われた富くじの「富札」が残っていて、中央区の文化財になっています。記録をたどると、15回以上の富くじが行われていたようです。境内には昭和29年に建てられた「富塚の碑」もあります。
中央区によると、近くの福徳神社(福徳稲荷)でも富くじが行われていたようです。富くじは天保13年(1842年)の天保の改革で禁止され、1945年の「宝くじ」まで、公認のくじはありませんでした。
根拠:一次資料(中央区「椙森神社の富札・富塚の碑」の文化財の説明)。江戸時代から宝くじを買い続けたらどうなるかは江戸時代から宝くじのシミュレーターで試せます。
皆中稲荷神社(新宿・百人町):「みなあたる」で宝くじの当選祈願
新宿区百人町にある神社です。神社の説明では、江戸時代、近くに置かれた幕府の鉄砲隊(鉄炮組百人隊。百人町の名前の由来)の与力が、射撃がうまくいかずに悩んでいたところ、夢に稲荷の神が現れ、翌朝お参りしてから撃つと百発百中だった、とされています。ほかの武士もみな当たったことから「皆中(みなあたる)の稲荷」と呼ばれるようになりました。
「当たる」という名前から、いまは宝くじや抽選の当選を願う人がお参りに来ています。
根拠:一次資料(皆中稲荷神社公式サイト「縁起由来」)。宝くじの当選祈願は二次(ウォーカープラスなどの記事)。
「当たった人のお礼が届く」は、効いている証拠になる?
「くじが当たる神社は本当に当たっているのか」を、皆中稲荷神社や宝当神社などに聞いた記事があります。どの神社も「お礼の絵馬や手紙が届くので、当たっている」という答えでした。
お礼が届くのは本当でしょう。ただ、お参りして外れた人は、わざわざ報告に来ません。お参りした人がとても多ければ、神社にご利益があってもなくても、当たった人はその中から出てきます。当たった人の数だけでは、ご利益があるかどうかは分からない、ということです。宝くじの置き場所で同じことを試したのが神棚と生存バイアスのページです。
もちろん、お参りする気持ちを否定するものではありません。どの神社に行っても1枚あたりの当たる確率は同じなので、気持ちよく行ける所を選べばいい、というのがこのページの考えです。
根拠:二次(ウォーカープラス「全国の“くじが当たる”神社は、本当に当たっているのか!?」)と、確率の考え方(推測を含む)。
よくある疑問
金運の神社で一番はどこ?
決められません。このページで数えた記事に一番多く出たのは小網神社(19本中8本)、アンケートの1位は鎌倉の銭洗弁財天でした。どちらも「人気」の順で、ご利益の強さの順ではありません。
東京や京都で名前が出る金運の神社は?
このページで数えた記事では、東京は日本橋の小網神社(8本)と福徳神社(4本)、京都は御金神社(7本)がよく出ました。東京は日本橋だけの記事が入っているので、多めに出ています。
日本三大金運神社はどこ?
安房神社(千葉)、新屋山神社(山梨)、金劔宮(石川)です。昔からの言い伝えではなく、経営コンサルタントの船井幸雄がすすめた3つ、と紹介されています。
お金を洗う「銭洗い」はいつ始まった?
鎌倉の銭洗弁財天では、北条時頼(鎌倉時代)が巳の日に銭を洗って祈ったのが始まり、と伝わっています。
宝くじが当たる神社は?
名前の「皆中(みなあたる)稲荷」(新宿)や、江戸の富くじが行われた椙森神社・福徳神社(日本橋)がよく挙がります。どこにお参りしても、券1枚が当たる確率は変わりません。
根拠:上の各神社の説明と、記事を数えた結果。
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